現在の仕事は、NPO法人だっぴ(以下だっぴ)の代表理事をしています。だっぴのミッション、目標は「未来を創造する若者を増やす」ことです。活動の軸としては、岡山県内の中学生・高校生と大人との対話のワークショップを各学校で実施しています。いろいろな生き方の大人を知って、視野の広がりを作っていきながら、生徒たちの意識変容を促します。倉敷翠松高校さんでも年1回開催し、さまざまな倉敷の大人たちとのコミュニケーションの機会をつくっています。また、倉敷翠松高校さんでは、対話という方法以外でも、グラフィックレコーディングや動画編集、AIソフトウェアを使った表現方法を用いて、自分の感覚を他者に伝える活動を行いました。
そのほかにも、何かやってみようとチャレンジしたくなる行動変容の機会「放課後キャリア探究」を行ったり、運営するサイト「生き方百科」では、さまざまに活躍する大人たちをインタビュー形式で紹介したりしています。
(写真は倉敷翠松高校での「高校生だっぴ」開催の様子)
高校時代は先生に歯向かうような、よく言えば(?)アナキストだったかもしれません。1年の頃、授業中に後ろの席の子と喋っていたら、学年主任でもある古文の先生に「お前、何喋っとるんじゃ、“反省するまで”立っとれ!」と言われました。反省するつもりもなかったので、そのままずっと立っていました。すると今度は「いつまで立っとるんじゃ!」と言われたので、「僕、まだ反省してないんですよねー」と返したら、「お前、後で職員室来い!」と呼び出されました。
怒られるのかなと思って職員室に行ったら、もちろん叱られはしたのですが、同時に「発想が素晴らしい」的なニュアンスで褒められて驚きました。おそらく多くの生徒は「反省するまで立っとれ!」と言われたら、なんとなく時間を見計らってしれっと座り、事なきを得るのかなと思います。でも、そうしなかった僕に対して、通常とは異なるアプローチで対応をされました。こんな反抗的な態度の生徒がいたら、きっと怒って終わるところですが、その先生は褒めてきたんです。
どこか自分が認められたような、予想外の角度から褒められた経験は、自分にとって不思議な引っ掛かりがあったのか、とても印象に残っています。
部活は野球部でした。小学生の頃からクラブチームに所属していて、中学校でもやっていたのでその流れで入っただけで、すごくやりたいわけではありませんでした。前述のように授業中もそんな態度で勉強もやりたいことではなかったので、なんのために生きているのだろうかと思いながら学校に通っていました。
なぜそんなに受け身で無気力だったのかというと、幼少期から教育面で親の束縛を強く感じていて、塾だけでなく、自分の意思とは別で習い事もたくさんしていて……。今でこそいろいろな経験をさせてもらったことに感謝していますが、もっと自由になりたいなと漠然と思っていました。
だから僕の夢は「大学生になって都会で一人暮らしをする」と、とにかく家を出て自立することでした。夢を実現するために、やる気のなかった高校生活もなんとか乗り切り、無事に大学進学が決まりました。当初は関東の大学を目指していたのですが、進路指導の先生のアドバイスもあり、最終的に岡山県内の大学を選びました。県内でも通学には片道1時間以上かかるため、家を出て念願の一人暮らしを始めることになったのです。
しかし、ここで「さあ楽しい大学生活がんばろう」とはならなかったのが僕なんです。なぜなら、大学に入る目的は一人暮らしのためだけだったので、長年の夢が叶ってしまい、一度燃え尽きたような感覚になってしまい……。よく考えたら、一人暮らしとは「状態」であって、何か特定の行為に情熱を燃やすような「夢」ではなかったんですよね。
さて何をやろう? と考えて、高校生の頃にハマって視聴していた動画投稿サイトに、今度は自分で動画を作って投稿しようと思いつきました。趣味に関する投稿を続けていると、そのうちフォロワーもできてコメントも盛り上がるようになって、視聴するだけの頃には味わえなかった充実感を知り、ますますハマっていきました。動画を投稿しない日はアルバイト仲間でひたすら麻雀をする……そんな毎日を繰り返していました。
(写真は高校の野球部時代)
そして21歳、大学3年生の時、困ったことに就職活動で「君、何を頑張ったの?」と聞かれ、何も答えられない自分に愕然としたんです。ある就活のコミュニティをのぞいてみると、学生起業した関東の大学生や、バックパッカーで世界を回った関西の大学生など、キラキラした人たちばかり。彼らと比べると、随分と僕との陰陽の差が激しくて、「都会に行っていれば違ったのだろうか」「なんで僕はこうなっちゃったんだろうか」と、知らぬ間に開いていた、意欲的に生きる彼らとの差を突き付けられました。
ショックからやがて、自分と同じような状態の人を生まないための仕組みが必要だと考えるようになります。特に、高校の進路指導の仕組みを変える必要があるのではないか、という思いが湧き上りました。僕自身、社会についての知識があまりにも不足していて、進路について自分で考える力を身につけて来なかった。その結果、自分に何が合っているのか、何を目指せばいいのか分からないまま過ごしていたことが問題だったと気づいたのです。その時の思いが、今の活動につながっています。そこから僕は、高大接続※をテーマに歩んでいくことになります。
※高大接続:高校教育と大学教育の間をスムーズに結びつけ、高校卒業後の大学進学における準備段階の支援や、その連携を図る仕組みや取り組み。
ほどなくしてだっぴの発起人と知り合います。だっぴと関わりながら、僕は大学院に進み、現在のNPOだっぴの活動につながる対話のワークショップをつくりました。卒業後は大阪の教育系広告会社に就職しました。会社員時代も、土日はソーシャルセクター※の方と一緒に勉強会などをしていましたが、その道一本で歩いている人と片足を突っ込んでいるだけの僕との目線の合わなさに、どこかモヤモヤとしていたところもありました。
就職して2年、そんな思いを抱いていた頃、だっぴから力を貸してほしいと声をかけられました。「ここがタイミングなのか」と一念発起して、岡山へUターン。2017年にだっぴの職員になり、2020年から代表を務めることになりました。
※ソーシャルセクター:社会課題解決を目的とした組織・団体の総称
(写真は大学院生時代に開催した「高校生だっぴ」。中段右から2人目が本人。)
今の自分に繋がる転機はなんだったのだろうかと振り返ると、それは誰かとの出会いでもなく、どこかに行ったからでもなく、自分から湧き上がってきたものでした。もちろん、その後、だっぴであったり、就職した会社であったり、さまざまな出会いはありました。それらは自ら掴みにいったというよりも、自分の中のテーマが決まったら、自然に話が向こうからやってきたように感じています。
「不易流行」という言葉があるんですが、教育の現場で言うと、人間の根管を作るもの、変わらないものが「不易」で、金融教育や主権者教育などの時代に応じた「流行」になる教育があります。しかし「流行」を実施するには、今の学校のマンパワーだけでは圧倒的にキャッチアップできないと感じています。例えば、ネットリテラシーをどう子どもに伝えていくかを、現場の先生が普段の業務に加えて一から作り上げるのは、とてもじゃないけど難しい。それらを請け負う役割が僕らにあると思っています。世の中の趨勢(すうせい)によってニーズは常に変わっていくものなので、こういうのが必要なんじゃないかとか、フォアキャスト※で作っていく形で考えています。
※フォアキャスト:将来の動向を予測すること
いわゆる“イタい”自分でいいんじゃないかなって。行動している“イタい”やつは良いと思います。人が一生懸命になっている姿を見て、ダサい、イタいと、批判的で何もやらないやつこそ“イタい”です。それは“クソリプ”と一緒です。動画を自分で作って投稿するという発信者として“行動する自分”、“他者をただ批判する自分”、どっちもやった自分を振り返って思うのが、やっている“イタさ”は多いにOKですが、やらない“イタさ”に肯定できるところはないということです。
高校の時にやって良かったと思うのが、3年生の部活が終わるタイミングから、大学進学に向けて勉強に没頭したことです。没頭しながら、自分のルールや法則が見つけられる、自分はこうしたら暗記しやすい、こういうルーティーンは気持ちいい。勉強でなくても、没頭することは重要だと思います。自分でやってみて、トライアンドエラーを繰り返しながら思考をずっと回し続ける経験。没頭の中での試行錯誤にエラーはない、決して失敗ではないですね。
誰かのために生きているか、誰かのために自分を手放せるかどうかだと思います。高校生の時はもちろん、特に若いと、自分のことで精一杯じゃないですか。“誰かのために”とか、そんな高尚なこと考えられませんでしたけど、最近子どもができて、ようやく芽生え始めた感覚です。
なりつつあります……と言っておきます。
過去の自分に対して、さまざまな意味づけができる感性を持てるようになったことです。子どもは瞬間が楽しい、今ここが楽しいかが重要。今も瞬間的な楽しさはありますが、例えば、2017年の自分を振り返った時、あの時のあれは楽しかったんだな、とても有意義な時間だったんだなと、豊かに考えられるようになりました。同じものに触れても、考える角度が変わってきたと感じます。多角的に過去を捉えられるようになることは、大人の楽しさなんじゃないかと思います。